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五木寛之「運命の足音」生まれてはみたけれど・・・ [本-エッセー・その他]

 五木寛之 著 「運命の足音」を読みました。 

平壌って、最近、よくニュースで耳にする所ですが、 運命の足音

を通して、終戦と同時に、すぐ危機感を持って、
日本へ引き上げなかった当時の日本人・・・

ソ連軍の進駐前に脱出しなかったから、帰りそこない、戦争難民として、収容所生活をするハメになった日本人の様子を知ることができました。

両親が、教師として、植民地で働き、外地で育った理由なども、わかりましたが、12歳の少年時に、終戦を平壌(ピョンヤン)で迎えられ、ソ連軍に住まいを追い立てられて、病気の母親をリヤカーにのせ、身を寄せる場所を求めて、さまよう・・・母親の遺髪だけを持ち、日本への引き上げの様子・・・

このくだりは、読んでいて、一緒に地獄を見ているような気持ちになりました。

そして、何十年たっても、誰が悪いというわけではないのに、
重たい十字架でも背負ったように、自分を責めたり、悔やんだり・・・
は、つらすぎますね。

こういう体験をしていられる方の、生きるということを語る言葉は、
非常に、重く感じます。

この気持ちを救うものは、果たして宗教なのか?
宗教を信仰したからといっても、救われるものではない
が、ちょうど、暗がりで、足元を照らしてくれる月明かりのようなもの~
と語られていますが、何となく、理解できるような、伝わってくるような・・・。

五木さんの本では、仏教についても、大変、わかりやすく、
説明されています。

仏教では「思うがままにならない」四つのこと

人間は生まれてくることにおいて、思うがままにならない。

生きていくということも、思うがままにならない。

病気をしたくないといっても、思うがままにならない。

どういうふうに死がやってくるのか、死にどう対処すればいいのか
ということも、思うがままにならない。
逆らっても逆らっても追い払うことのできないもの、思うにまかせぬことの最大事が「死」です。

・・・と、大変、重たいのですが、
生・老・病・死」の四つの思うままにならないことを
受け入れて、覚悟して、生きていけば、何かが違うのかもしれませんね。


この本を読んで、本当に、生まれてくること自体、自分で条件を選べる訳でもないので、思うがままにならないことの方が、当たり前なのかも・・・

毎日の、ちょっとした些細なことを思うがままにならないとクヨクヨするよりは、と開き直って、前向きに行かないと、限られた人生時間が、もったいないですねぇ・・・。

運命の足音 









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